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「夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリ」Bunkamuraザ・ミュージアム

2014. . 18

夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリ

とある大金持ちの美術コレクターから、匿名で招待状が・・・

なんとなくハーレクイン・ロマンスを思わすような甘くバラ色の設定で今回はいきましょう笑

そうもいいたくなるような、謎めいた設定の展覧会にいってきた。
とある関西の美術コレクターが集めた作品の中から、印象派とエコール・ド・パリのよりすぐりの16作家71展からなる絵画たち。
その謎のコレクターのコレクションがいったいどれだけあるのかわからないが、選りすぐりの作品たちを見ながら、彼がどんな人なのだろうか、どの画家のどこが好きなんだろう(そして彼でなく、彼女かもしれない。それさえも明かされない)といろいとろと想像するのが非常に楽しく、今、ブログを書いているこの瞬間も楽しくてならない。

「第一次世界大戦前の繁栄を謳歌していた頃のフランスでは、美術の全く異なるふたつの切り口が顔を合わせていました。印象派とエコール・ド・パリです。両者の背景として共通するのは、フランスの繁栄と社会の一応の安定があり、画家たちは自らの感性に忠実にその各々の目標に向かって邁進したことでした。そしてそれはいわば夢の実現でもあったのです。」(展覧会サイトより)

おそらくこのコレクターはこの時代のフランスに非常に強い思い入れがあるのだろう。キャプションで永井荷風のことが触れられていたが、この人もきっと彼に劣らない「フランスかぶれ」。

コレクションは作家ごとに並べられていて、ひとつひとつの作品の見ごたえに驚く。そして一人の作家につき数点展示されている作品に関しては、その作家の作風の変遷もしっかり捉えることができる。
もともとのコレクションの質もいいのだろうけど、セレクトしたかたも相当の目利きかと。(素人が偉そうにいってすみませんが・・・)

最初にでてきたセザンヌは「イル=ド・フランスの風景」は軽やかな色彩の初期の作品と、ものの量感や存在感が画面にはっきりと出てきた「大きな松と赤い大地」と両方楽しめるし、モネも初期のやわらかく光が移ろう作品から後期の筆あとが大きくなり色彩に深みを増して深淵になってきた作品を見比べることもできる。

しかし今回一番みどころだと思ったのはヴラマンクとキスリング。
お二方ともなかなか一度にまとめて数点見る機会のない作家だったけれど今回その魅力を十分に味わえた。

ヴラマンクといえば個人的には佐伯祐三とのエピソードを思い出してしまう。
ヴラマンクにあこがれた佐伯祐三が彼に絵をみせにいってこっぴどく批評され、それ以降佐伯祐三は大きく作風を変化させてあの独特の暗く激しいパリの風景を描くに至ったそうだ。
佐伯祐三がヴラマンクに惹かれたのはよくわかる気がする。ヴラマンクの作品も佐伯祐三と同じく見る物を不安にするような影のある独特の表現で、行き先の見えない道や黒くとげとげしい木の枝を描く。
何か事件の起こりそうな、もしくは事件が起こった後のまがまがしい空気を感じて、ふと横尾忠則のY字路のシリーズを思い出した。
その暗くドラマティックな表現は静物画も同様で、影を帯びた花たちはサスペンスドラマを見ているように、次に何がおこるかわからない気分にさせ、心をかき乱してくる。

同じ花を描かせてもキスリングの場合はまた違った印象。
17世紀のオランダの静物画の影響を受けた花たちはひんやりとした影をもち、静寂な佇まいでどこか乾いた寂しさがある。人生のむなしさを表す「ヴァニタス」の寓意が込められているとキャプションにあったが、確かに見ているとじわじわと体に染みこんでくる底冷えのような感覚を感じた。

その他の作品も、ぐっと画面に引きつけられる作品たちで、キャプションも秀逸。作品数がそんなにあるわけでもないのに、濃厚な時間をすごせてとても充実した鑑賞ができたし、なによりもこの作品が生まれた時代の勢いが肌で感じられ、このコレクターがなぜフランスに、この時代の作品たちに惹かれたかがじわじわと感じられた。

見知らぬコレクターからの思わぬプレゼントをいただいたようでとてもうれしい。
何もお返しができないのは心苦しいので、ここにそのすばらしさを書き残しておくことにした。

できたら、残りのコレクションもまたみせていただく機会をつくってね❤というリクエストつきで笑


「夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリ」
東京渋谷 Bunkamuraザ・ミュージアム
10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_france/index.html
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「カンタと刺子 ベンガル地方と東北地方の針仕事」日本民芸館

2014. . 16

日本民芸館3
本当にいい展覧会だった。パンフレットを見るといまでもきゅんきゅんする。(不細工に折れててすみません・・・)


日々、これをこんだけやったらこれだけお金が儲かって・・・みたいなことをずっと考えて日銭を稼いでいる身の上なので、膨大な手間暇をかけて作られたものに出会うと、ひどく心が揺さぶられる。

とくに刺繍はひとはり、ひとはり、気の遠くなるような時間の集積から形作られていて、時間が貨幣価値に換算されるような概念を超越しているようで、たまらなく惹かれる存在。

日本民芸館の「カンタと刺子 ベンガル地方と東北地方の針仕事」は、ベンガル地方の刺子であるカンタと地球の反対が側にある日本の東北地方の藍染めの刺し子類を平行して展示。
まったく違う土地の2つの手仕事の造形的な違いを楽しめるが、それよりもそこに流れるひとはりひとはり、時間をかけて針を打っていった人々の心の内側に思いが共通するものであることに、人間の手仕事に共通して流れるものを感じ、心が揺さぶられてならない。

カンタは白い布に色とりどりの意図で刺繍され、白い部分は白い糸で縫われ、布地が波打つような独特の風合いになっている。中央に蓮の花を、四隅にペーズリーをいれるのを基本としているらしいが、縫われるモチーフはさまざま。
生命の木、花、魚、馬、象・・・中にははさみや櫛、など日常の品々まで縫われている。
そのモチーフの形と色の自由なこと。造形は子供の絵のように稚拙であったりするが、それが細やかな縫い目で形作られていると、独特の力強さがうまれ、手描きの絵のような線は少しまがっていたり、決してまっすぐではなく、それゆえに味わい深いものとなる。
インドの民族衣装はその苛烈な暑さによるのかビビッドなものが多いが、その色彩感覚はカンタにも共通していて万華鏡のように、激しい色彩が絡み合う。
その伸びやかな表現を見つめてるとこころが晴れやかになってくる。
なんとなく草間彌生の近年の作品「愛はとこしえ」を思い出してしまった。大きなキャンパスの中を埋め尽くすようにいろいろなモチーフが描かれた作品だが、カンタと共通した、人間の描くことへの本能的な喜びを感じる。

一方で東北地方の刺子たちは、緊密な線と幾何学的な模様が特徴。
息の詰まるように針がさされていて、定規でひかれたかのようにまっすぐな直線たちでかたちづくられている。
なのにそれが手仕事であるためか、ふんわりと暖かい印象になるのが不思議。
見つめれば見つめるほど、じわじわとその魅力に惹かれていく。

ふたつの刺子は正反対のように見えるがどちらも限られた物資と厳しい自然環境のくらしの中で、家族や身近な人々を思ってひとはり、ひとはり、女性たちが手を動かし作られた物である。

パンフレットによるとシーツ程度の大きさのカンタは掛け布団に使われるそうだが、今回提示されているのは婚礼や儀式のときに床に敷かれ、花嫁や花婿、参列者が周りを取り囲むように座ってそれらを愛でるらしい。
特別な日のために、おそらくは母が子供に、姉妹たちが、祖母がそれを手伝い、ひとはりひとはり仕上げていったのだろう。
東北の刺子も、防寒や布の補強のために、家族の身の快適さを願ってつくられている。
小さな子供用の足袋に縫われた、数え切れない縫い目を見つめていると胸がいっぱいになってしまった。
愛する人の幸せを願って、ものをつくること、それが同時に目をよろこばすこと。その圧倒的な豊かさの前に立ちすくむ思いだった。
「用の美」と言葉でまとめてしまえば簡単だが、その奥深さをあらためて考えてしまった。

このカンタは岩立広子さんという女性がコレクションしたものらしい。
生涯をかけて、インドの布を収集している。彼女のつくった美術館が東京の自由が丘にあるようなのでここも是非訪れてみたい。
岩立フォークテキスタイルミュージアム
http://iwatate-hiroko.com/index.html
※ウェブサイトも簡潔で、でも必要な情報はちゃんと整理されていてすてきです。


ちょと話はかわるが、無名の女性たちが紡ぎ出す造形美の底深さを思うにあたり、思い出す本がある。
少し前に「西の魔女が死んだ」が映画化された梨木香歩の小説に「からくりからくさ」という作品がある。
こちらは刺繍とは違い、織物の話だが時代と空間を超えて共通する手仕事をする女性たちの思いとその尊さが美しく描かれていてとても印象的な作品。

日本民芸館2
このポスターのビジュアルに一撃でやられた。
この展覧会を見に行こう、と一番強く思うのは、パンフレットでもwebでもなく、美術館ポスターであることが多い。
この大きさだからこそ伝わるものがあるのだろう。

日本民芸館1
すてきなたたずまいの日本民芸館、館内の細部まで手仕事と経年がもたらすあたたかさに満ちた道具たちに満たされているが、一番びっくりしたのは閉館をしらせる館内放送のかわりに、受付けの上品なマダムがでてきて、大きな銅鑼を「ごーん、ごーん」とならすことw


日本民芸館
カンタと刺子 -ベンガル地方と東北地方の針仕事  
2014年9月9日(火)-11月24日(月・祝)

「ウフイツィ美術館展」東京都美術館

2014. . 14
お気づきかもしれませんが、ブログのメイン画像はボッティチェリ。

これだけ美術展をまわっているのに、好きなアーティストはときかれると特定の一人をいえないけれども、ボッティチェリはかなり好きなアーティストの一人。
なぜ好きなのかを彼の作品を見るたびに考えるけれども、なぜか確固とした理由は見いだせないでいる。
なんとなくわかっているのは、たぶん楽園的なイメージが好きだということ。

遊楽図屏風、紅型、王朝絵巻・・・・・

好きなもののキーワードをあげていくとなんとなくそういう感じに。
華やかで遊惰で、でも少しの憂いが含まれていて、それが楽しさや美しさをより際立たせていて、そういうものに強く惹かれる。

さて「ウフイツィ美術館展」、一応ボッティチェリを看板にあげて?ブログを書いているのに、どーんとボッティチェリを看板にした展覧会にいかないわけにもということでいってきた。

ウフィツィ美術館展2
どーんとボッティチェリ「パラスとケンタウロス」

ウッフィツィ美術館には学生時代を含めてたぶん10回ぐらいはいってるんではないだろうか。
イタリアルネサンス好きにはたまらない魅力の美術館であり、イタリアルネサンスがどういったものか、時代を巡りなら体感できるところ。

今回の展覧会は「大工房時代のフィレンツェ」、「激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来」、「マニエラ・モデルナ」、「フィレンツェ美術とメディチ家」という構成。

初期ルネサンスのジョットとかドゥチオとかマゾリーノとかマザッチョとかはないので、ぺたんこだった肉体が丸みを帯びてきて、空間に奥行きが生まれてきたあの感じから入れなくて残念な気が。代わりにそういう時代のテンペラ画がいくつかはある。
その後は黄金時代というとで、看板のボッティチェリ「パラスとケンタウロス」をメインに、ボッティチェリの作品数点とその周辺の画家たちの作品がならぶ。
「パラスとケンタウロス」はともかく、その他のボッティチェリはやはりちょっと見劣りがしてしまう。でも画家の画風の変遷は追えるようにはなっていたので、よしとしよう。
特に後期の、画面に沿って歪曲しているように聖母の身体が固くデフォルメされて後期の画家の特徴がよく読み取れた。

ウフィツィ美術館展5
画像は美術館サイトから引用

話は飛ぶが、渋谷の文化村でやっていた「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館展」のボッティチェリの後期の作品はよかったな。たぶん日本で見たボッティチェリの中でそれが一番よかった。

「マニエラ・モデルナ」、「フィレンツェ美術とメディチ家」あたりは作品が結構苦しいものが。
ブロンツィーノもロッソ・フィオレンティーノもポントルモもアンドレア・デル・サルトもあったけれど、どうもそれぞれの画家のよさや個性を紹介するにはちょっと物足りない作品たちだったと思う。

全体として、ボッティチェリの「パラスとケンタウロス」豪華一点、そのまわりを小さな宝石で固めて、あとはなんとか食いつないだという所感。
やはり海外の古典美術の作品展はなかなか難しいなと。
そういう場合はコーディネートやキャプションで楽しませていただきたいところだが、それも物足りなかったように思う。

2015年にかけて、イタリアルネサンスに関する展覧会がいくつか企画されているみたいだけれど、一番気になっているのは渋谷のBunkamuraの「ボッティテリとルネサンス」展。
こちらは副題が「フィレンツェの富と美」ということで、フィレンツの銀行業の繁栄が世紀に残る名品たちを生み出していく過程とボッティチェリの生涯をからめつつ語りながら作品を見れるということで、なかなか内容の濃いものになるのではないかと密かに期待している。

少しものたりない感じもした「ウッフイツィ美術館展」だけど、最後のミュージアムショップでは非常に楽しく。

ミュージアムショップでものを買うこと自体あまりないけれど、人が何を買っているかは非常に気になるのでいつも観察している。
今回どのはがきが一番売れているのかとじっと見てたら、ボッティチェリの「パラスとケンタウロス」はもちろんのこと、展示されていない「ヴィーナスの誕生」と「春」が必ずといっていいほど買われていた。
やはり有名な絵というのは強いのだなと、感慨深く。

そうして複製画をみてみると、今度は「パラスとケンタウロス」人気がない。。。
そしてやはり「ヴィーナスの誕生」と「春」が人気。そして聖母子の絵が人気。

ウフィツィ美術館展1
赤シールの数が・・・

一応メインである「パラスとケンタウロス」が買われないのか少し考えたが、すぐに納得。
ひげもじゃ髪の毛ぼさぼさのおっさんみたいなケンタウロスをつかみあげる、逞しいパラスの姿はかかあ天下の図に見えて仕方がない。
複製がはおそらく、家のリビングや寝室などに飾られるのだから、夫婦どちらも微妙な雰囲気に。子供なんかいるとさに具合が悪いのかもしれない。
ケンタウロスが欲望の象徴で女神がそれを制しているので、図像の意味としては「貞操」ということ。本来ならば家庭にふさわしい絵なんだが、そのへん異教徒で現代日本人には通じないし笑

一説ではこの絵は結婚が決まった貴族の男性が妻へのオマージュに送ったというが、どんなオマージュなのかちょっと想像を絶するが、女性の強さが美しいものとされることは悪くない気がするし、受け取る側も堂々喜んで受け取ればいいだけの話なのかもしれない。
そんなことをもやもやと考えてまたにやにやと・・・・

一番人気の聖母子像は、日本人にもその魅力は十分伝わってくる。
しかしぼっちゃりと福々しいキリストも、かわいらしいヨハネも悲惨な最期を向かえることを思うと、幸福に満ちた聖母子像もやはり少しの悲しみを含んでいる。
だから聖母子像はいつでも、どんな画家が描いても美しく、心を揺さぶられるのだろう。





ウフィツィ美術館展6
美術館のカフェの展覧会特別メニューの栗のアイスのアッフォガードは思いの外美味❤

ウフィツィ美術館展3

その晩は、イタリアへの愛をこめてキャンティ柄(笑)のテーブルクロスと、イタリア好き先輩からいただいたルッコラと生ハムで乾杯しておいた。(どうでもいいが)

「ウフィツィ美術館展」東京都美術館
2014年10月11日(土)~12月14日(日)
http://www.uffizi2014.com/

「沖縄 1950年代の美術」「沖縄美術の流れ」沖縄県立美術館

2014. . 11
企画展の内間安瑆を特集した展示で満足しきってしまって常設展は軽く流そうと思い、何の気負いもなく会場に入った自分は迂闊としかいいようがなかった・・・

沖縄のタクシーの運転手たちは人なつこく、そして関西人のそれとも違う、陽気でのんびりとした笑いのセンスをここちよく思っていたが、運転手さんのひとりから、沖縄の伝統文化は中国の色合いが強いんだよ、ぜんぶぜんぶ中国、ときかされて、歴史物のテレビドラマのイメージの断片を記憶の中で集めていると、確かに建物も衣装も踊りの様式も中国に近い。

独立した国だったことも、気候が違うことも重なり独自色の強い文化が力強く残っていること、またそれが何度も外からの権力により蹂躙され、焼かれ尽くされても根強く復活してきた、根の深い、厚みのある土壌に育って開花した美術たちがどうして軽く流せるようなものだろうか。

沖縄に近代美術がはいってきたのは、明治政府から派遣された学校の美術教師だという。
手法や技術的なものの技巧がどうこうという話以前に、描かれたもの、描かれた背景が興味深すぎてならない。

特集されていた1950年代の美術に関しては、戦後、すべてを焼き尽くされて絵の買い手がまったくいなかった沖縄の画家たちは駐屯していたアメリカの兵士たちが家に飾るための風景画や肖像画を描いて食べ物や衣服と交換していたという。
なんでもない、なにもない風景と、いくらかピントのぼけたような肖像画。
同じ建物の中にある博物館には琉球時代の板に書かれた国王の書が、アメリカ兵にトイレとして穴を開けられて使われたものがあった。

「シュルレアリズム」や「具体」、「アンフォルメル」、それらの考え方や手法の影響は受けるものの、どの作家も沖縄の文化や歴史の土台の上にそれを受け止めているような印象を受けた。(もちろん見る側の先入観もあると思う)
それらに完全に飲まれるわけでもなく、それゆえに表現者として作家はいろいろと葛藤があったのかもしれないけれど、見る側としてはそれらひっくるめて全部がおもしろい。
不謹慎かもしれないけれど、興味深く心が惹かれてならない。
学生のときに古典の時間にならった「あわれ」という言葉の、あの感じ。

さらに「沖縄美術の流れ」の最後には、沖縄から外国へ移民した人々の2世や3世のアーティストの作品がならぶ。
「沖縄」のルーツが作品に色濃く表れたものもあれば、一見してそうでないものもある。
移民の子孫の複雑なアイデンティティのあり方が作品にあらわれているところは、内間安瑆の企画展と共通するところ。

造形美術をとおして見る沖縄、本当におもしろくなってしまって、その後の普通の観光もひたすらおもしろかった。
美術とは少しはなれつつも、もう少し沖縄について書き残しておきたいなと思っている。

沖縄県立博物館・美術館 シーシー
美術館の入り口にある、石獅子のシーシー。
村の入り口に災いから守るために置かれたものらしいが、今は美術館をまもっている。かわいい。

沖縄県立博物館・美術館
常設展示について
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/flow/index.html








 「色彩と風のシンフォニー/内間安瑆の世界」沖縄県立博物館・美術館

2014. . 09
先日、沖縄に旅行にいってきた。
とにかく遠くでのんびりしたいという目的のもとなので、美術館を本気でまわろうとは思っていなかったが、くせなのかなんなのか結局美術館やら工芸館などをまわることになってしまった。

沖縄にも県立美術館があるのは知っていたが、まさかいく機会があるとは思っていなかったで期待はしていなかったが・・・・

沖縄県立美術館1

いきなり目の前に現れたのが、コンクリートの不思議な形の建物。この中に美術館と博物館の両方がある。

沖縄県立美術館2

建物の前庭には沖縄の伝統的な家屋が。シーサーがちょこんとのっていてかわいい。


沖縄県立美術館は、沖縄とゆかりの深い作家たちを特集したシリーズを企画展でおこなっているが、今回とりあげられているのは内間安瑆という作家。

『内間は米国カリフォルニアに生まれたが、戦前の東京で画家・版画家としてのキャリアをスタートさせ、帰米(1959年)後は晩年までニューヨークで創作を行い、版画家・教育者として高く評価された。』(美術館サイトより)

両親は日本人でも教育を受けたのはアメリカということで複雑なアイデンティティを持つことになる。
同じように日本にルーツをもちつつもアメリカで活躍したアーティストといえばイサム・ノグチを思い浮かべたが、実際に深い交流があったようで、内間のギャラリーでの展示会に寄せた、彼の作品についての言葉に下記のようなものがあった。


「完全に日本的でも西洋的でもないものとして表れることは、必然である」

この言葉のとおり、内間の作品は日本的なものと西洋的なものがあるはずなのに、どこがそうなのかわからないぐらいに混じり合っていて、どちらでもない、という言葉がとてもしっくりきた。

初期の版画は多色木版で、木目の風合いや削り後などを見ていると日本の木版画のように見えるし、題材にした俄雨や冬の景色なども日本的な情緒をはらんでいるのに、それらすっきりとあまりにも見事に、抽象的なものに表現されていて、まったく日本臭さがない。

「Winter Vista」は1968年にニクソン次期大統領が使う事務室に飾られたそうだが、ここにはスミソニアン博物館の学芸員が大統領の気持ちをくみつつ、アメリカの国立美術館に収蔵され、多くの人に親しまれてる同国の現代作家から選ばれるという。
ということはアメリカではアメリカの作家として広く受け入れられたということで、このあたりからも彼の作品のありかたがうかがえる。

その後展開した宇宙や自然をモチーフにした広がりのあるが描かれていく中で長谷川等伯などの影響が見られるなど日本的なものが見え隠れする。
同じモチーフを水彩と版画で反復的に描き、その二つがまったく違うアプローチがなされていることに驚きながら、異質なものが常に見えて隠れてを繰り返し、その不思議な意味の揺らぎにとても惹かれた。

一つの到達点に達したといわれる「Forest Byobu」シリーズは、版画の一枚の板で何度も色を変えて刷ることで、微妙な色合いを生み出した作品。
緻密な色彩の計算の中にも、重ねられた色彩の思いがけない発色やにじみが生まれていて、色彩が揺らめいているように見える。

作品の前に、実際に使われた版木が並べられていて、どのバーツのものかがはっきりわかり、その版木の組み合わせの技術の確かさと、偶然の色彩が生まれる過程がよくわかって、これはすばらしい展示だとにやにやしてしまった。

こうやって、にやにやできる作品や展示に出会えるのが、最高の人生の喜びのひとつだと思う。

そしてわたしのにやにや笑いは常設展へとつづく・・・・

沖縄県立美術館
「ANSEI UCHIMA Symphony of Colors and Wind 色彩と風のシンフォニー/内間安瑆の世界」
平成26年9月12日(金)~平成26年11月9日(日)
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/topics/detail.jsp?id=1256


沖縄県立美術館5


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